2019-01-24

韓国原爆展示館の高橋公純館長を囲んで

 1月23日の午後2時から都内のある会議室にて、来日中の韓国原爆展示館高橋公純館長を囲んで話を聞いた。20人の場所しか予約ができず、各界からの限定した参加者となった。それでも宮城や新潟からも含め、ワーカーズコープ、劇団、ボランティア関係者、ライター、原水協、民団など、反核平和に関心のある多彩な顔ぶれとなった。
 開会の挨拶で呼びかけ人代表として私は、高橋さんとの接点である原爆の灯と被爆ハマユウについて触れた。特に被爆ハマユウについては、まだ葉のある1株を持参して見せ、沖縄や海外にも届けていることを紹介し、「世界中をこの白い花で埋め尽くすのが夢です」と話した。なお持参したハマユウは、新潟から来た方に後の懇親会の場で寄贈させてもらった。
 高橋さんの1時間半の話は、なぜ韓国の被爆者の支援をするようになったのかから始まり、これまでに韓国だけでなく台湾を含めて取り組んできたイベントやモニュメントの話、そして最後に来年の8月6日にソウルで開催予定の被爆者向けの集会についてであった。
 朝鮮出身の被爆者は、広島で5万から7万人と長崎で2万人で、その内4万人が死亡し、2万人が韓国へ帰ったとの説が多い。健康面でも経済面でも苦しんでいる被爆者は多いが、朝鮮動乱で200万人の死者が出たこともあり、韓国で被爆はあまり大きな社会問題となっていない。さらには日本帝国主義に協力して金儲けをしたとして、地域社会から差別されていることも多い。このため被爆者として名乗り出ることを嫌がる人もいて、韓国の被爆者手帳保持者は2300人ほどである。それも平均年齢が85歳ほどになっており、高橋さんが言うには来年が最後の集いになるだろうとのこと。
 引き続き高橋さんと連携し、来年夏のイベントをぜひ成功させたい。
 これから成田空港に向かい、ドバイ経由でポルトガルへ格安ツアーで旅をし、30日夜に帰国の予定。法華経の本と原稿の資料を持参。

2019-01-21

雑草と土壌菌の生命力

 だいぶ寒くなり、今年も両足が痒くなって困っている。それも腰や腕にと広がってきた。もうすぐ70歳になるので仕方がないと、風呂上りに保湿剤を塗っていたが、ある本で体内の細胞でエネルギーをつくるミトコンドリアは、運動・空腹・寒さでより活発化すると知り、それでは冷水をかければ効果があるのではと考えた。そこで正月から風呂上りに、下半身へシャワーで冷水をかけるようにした。もちろん瞬間は凍えるが、その後で不思議なことに体がポカポカして気持ちが良いので続けている。もっとも保湿剤はそのまま使っているが、痒さはそれほど気にならなくなった。
 以前から書斎の机の上に、いつも小さな花を置いて愛でている。昨年10月に庭の菊を掘り起こして飾っていたが、さすがに暮になると花も枯れてしまった。何かの花を買ってきて入れ替えようかとも思ったが、雑草が2本も芽を出し、いつのまにか20cmほどの背丈になったし、さらには菊の小さな芽が伸びてきた。驚くべき生命力である。
 と同時に土の中で植物をサポートしている土壌菌の存在である。目に見えないから土壌菌の価値を認識する人は少ないが、自然農法家が強調するように極めて大事な存在であり、種子と土壌菌の協同で芽や葉や花や実になっている。
 人体も同じである。食べ物から栄養素を吸収していると学校では教えているが、200種類で100兆個ともいわれている腸内細菌が、食べ物と腸との橋渡しをしている。土壌菌や腸内細菌を破壊して、植物や人体の成長は期待できない。土壌菌や腸内細菌も大切にしていきたい。
 

2019-01-06

2019年を迎えて

 慌ただしく過ごしていたら、もう1月6日になった。暮に近くの寺で除夜の鐘を突き、元旦は恒例の断食をしようと昼までは頑張ったが、夕方に娘夫婦や孫たちが美酒を持って遊びに来たのですぐに断念して飲み食いした。もっとも暮からの原稿があり、そんなに飲んでもいられなかった。『たたかいのルポルタージュ第16号』には、福島原発事故による自殺者の「お墓にひなんします」の原稿もあれば、昨年12月に訪ねた沖縄は伊江島の謝花悦子さんからの平和のメッセージも執筆している。
 そうした合間に息抜きで、いくつかの映画をパソコンのユーチューブで観た。教育の大切さを説いた長岡藩の実話「米百俵」(1993年)、戦争直後の広島を舞台に原爆の非人間性を描いた「原爆の子」(1952年)、燃える青春像を描いた「若者たち」(1968年)と「若者の旗」(1970年)などである。今年はもう70歳になる自らの人生に引き付けると、いろいろと考えさせられることがあった。
 昨年94歳で他界された野尻武敏先生からは、「年ゆけば年ゆくごとに去りてゆく 時間の重み増してくる日々」と記した賀状をもらったことがある。痛いほど実感でき、何よりも残された時間を大切にしたい。
 上野の国立博物館で、長谷川等伯の松林図屏風の特別展をしていたので足を運んだ。それまでの中国の水墨画の模写でなく、日本の水墨画として高く評価され国宝にもなっている。松を描いた勢いのある筆運びもさることながら、墨のない広い空間も松林のイメージを高めてくれる。息子を亡くした晩年の等伯が、注文を受け製作したのではなく自らの意思で書きあげている。なおこの絵を理解するには、等伯も大事にしていた法華経を知ることが必要とのこと。悟りは、修行の遙かかなたにあるのでなく、その人の足元にあるとの教えで、色をいっさい使わずに自然の松林を8面屏風に昇華させている。こんなにギリギリまで研ぎ澄まされた作品創りに、私は文字でいつか挑戦してみたい。