2019-01-06

2019年を迎えて

 慌ただしく過ごしていたら、もう1月6日になった。暮に近くの寺で除夜の鐘を突き、元旦は恒例の断食をしようと昼までは頑張ったが、夕方に娘夫婦や孫たちが美酒を持って遊びに来たのですぐに断念して飲み食いした。もっとも暮からの原稿があり、そんなに飲んでもいられなかった。『たたかいのルポルタージュ第16号』には、福島原発事故による自殺者の「お墓にひなんします」の原稿もあれば、昨年12月に訪ねた沖縄は伊江島の謝花悦子さんからの平和のメッセージも執筆している。
 そうした合間に息抜きで、いくつかの映画をパソコンのユーチューブで観た。教育の大切さを説いた長岡藩の実話「米百俵」(1993年)、戦争直後の広島を舞台に原爆の非人間性を描いた「原爆の子」(1952年)、燃える青春像を描いた「若者たち」(1968年)と「若者の旗」(1970年)などである。今年はもう70歳になる自らの人生に引き付けると、いろいろと考えさせられることがあった。
 昨年94歳で他界された野尻武敏先生からは、「年ゆけば年ゆくごとに去りてゆく 時間の重み増してくる日々」と記した賀状をもらったことがある。痛いほど実感でき、何よりも残された時間を大切にしたい。
 上野の国立博物館で、長谷川等伯の松林図屏風の特別展をしていたので足を運んだ。それまでの中国の水墨画の模写でなく、日本の水墨画として高く評価され国宝にもなっている。松を描いた勢いのある筆運びもさることながら、墨のない広い空間も松林のイメージを高めてくれる。息子を亡くした晩年の等伯が、注文を受け製作したのではなく自らの意思で書きあげている。なおこの絵を理解するには、等伯も大事にしていた法華経を知ることが必要とのこと。悟りは、修行の遙かかなたにあるのでなく、その人の足元にあるとの教えで、色をいっさい使わずに自然の松林を8面屏風に昇華させている。こんなにギリギリまで研ぎ澄まされた作品創りに、私は文字でいつか挑戦してみたい。

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