2018-08-09

ソウルを訪ねて2

 「韓国の原爆被爆者に会ってきた」というと、よく「えっ、朝鮮でも原爆が投下されたんですか?」と驚く人がいる。そうではなく日本の広島と長崎で被爆した朝鮮半島出身の方々が、戦後に帰国して暮らしている。その数は、韓国の被爆者の協会に表で以下のように示している。
     韓国人   原爆死亡者   帰国
広島   7万人   3.5万人     3万人
長崎   3万人   1.5万人     1.3万人
計   10万人   5万人     4.3万人
 やっとのことで帰国した人たちは、「日本で金儲けしてきた」とか「日本を手助けした」などと非難され、今でも経済的にも健康面でも苦労されている方は多いが、社会からの支援はほとんどなく苦しい生活を余儀なくされている。
 そうした中で高橋公純さんは、毎年8月6日にソウル市内で支援の集会を開き、原爆で亡くなった韓国人の慰霊を祀り、苦労されている被爆者の慰安の場を提供している。10時半からはじまった集会には、釜山などからを含め約200人が集まっていた。舞台に設けた祭壇の横にある平和の鐘を、地元の子どもの男女2人が叩いて開演した。韓国、日本、台湾の3人の女性が民族服でお茶を捧げ、公純さんや被爆者のソウル支部長などの挨拶が続く。私も檀上に立ち、「被曝ハマユウの祈り」と題して、原爆の熱線・放射線・衝撃波の被害、平和のシンボルとしての被曝ハマユウの経過、福島の原発事故で自殺者の続いている現状に触れ、原爆も原発も原理は同じことなどを話させてもらった。
 後半は、死者の霊を慰めるため白いチマチョゴリでの踊りや、韓国の国民的な歌でもある哀愁をおびた「アリラン」も流れた。
 3年ぶりに参加した心のこもった集会であった。


  

0 件のコメント:

コメントを投稿