2016-12-31

築地市場・豊洲移転の闇

 12月中に築地市場・豊洲移転に関する2つの学習会に参加した。12月10日は農農研主催で、築地市場の労組委員長でもある中澤誠さんが、働く立場からの問題を詳しく話してくれた。市場を造る東京都は、現場で働く人の意見をまったく聞かず、また設計の内容も全て伝えることなく進め、移転の直前となった2016年秋になって、急に水槽は深さ70cm以下にするようにとの連絡があり、これはおかしいと調べたら地下の空洞が見付かり、大騒ぎの発端になったとのこと。80年の歴史のある築地市場では、大人の寸法に合わせて1間(1.8m)単位で設計してあるが、豊洲は1.5mを単位にしているため、狭くて作業がしづらい。これに輪をかけるようにして保健所は間仕切りをするように話しているとのことで、働く人にとっては踏んだり蹴ったりである。

 17日は、私の所属する日本科学者会議の食糧問題研究委員会が主催し、学者の立場から三国英実先生に1時間半の報告をしてもらった。豊洲の話は、当時の所有者である東京ガスが、都の打診を断っていたにもかかわらず、当時の石原都知事が強引に進めたことから、まず移転ありきの結論を決めてからあらゆる課題が展開し、今日の大問題につながっている。にもかかわらず石原氏は覚えていないとしらを切っているから、本当に情けない男だ。厚顔無恥の代表的な1人である。また歴代の市場責任者の誰も、盛り土の件でいつ空同に決めたか不明とのこと。127人もの都議がいながら、こうしたチェックもできていないとは開いた口がしまらない。まさに第二次世界大戦から続く「無責任の体系」が、ここでも現れている。

2016-12-09

続く危険なTPP路線

本日、不充分な議論で国会をTPPが通過した。頭にきたので以下の文面を東京新聞の「ミラー」へ投稿しようとしたが、なぜかインタネットのフォーマットから受け付けてくれない。昨年の「平和の俳句」はスムーズに送付できたのに、いったいどうしたことだろうか。ともあれ1人でも多くの方に、この危険な動きを知っていただきたい。
     
TPPの鎧をTiSAに替え           ジャーナリスト 西村一郎
国会を通過したTPPは、内国民待遇の規定で自国の投資家に与えるよりも不利でない待遇を与え、投資家対国家紛争解決(ISD)条項で、損害を企業が相手国に賠償を求めることができ、ラチェット条項で元に戻すことができないなど、投資家の利益を最優先している。
これらが実施されると、日本国憲法13条で保障している市民の幸福追求権、25条の生活権、21条の知る権利、76条の司法主権の侵害される危険性が高い。それがトランプ新大統領の拒否で発効しないことは嬉しいが、安心しているわけにいかない。彼は、あくまでも米国の利益により貢献する条約を望んでいるだけで、多国籍の巨大企業や巨大銀行に、富をより集中させる路線にかわりはない。
実はTPPが今回は発効しなくても別の路線がすでに存在し、社会の平和や安定を願う人々は、けっして安心するわけにいかない。
20136月に交渉開始し、日本の他に米国、カナダ、EUなど50か国が、現在も秘密裏に協議している新サービス貿易協定(TiSA Trade in Service Agreement)に、危険なTPPの思想は脈々と流れている。TPP以上に徹底した秘密交渉を続け、国会やマスコミで話題になることがない。
 TPPと異なるのはその対象であり、通信、流通、教育、金融、医療、観光・旅行、運送などのサービスで、影響は大きい。
我が国には、戦後の民主化の中で育んできた医療や教育など、いくつもの公共サービス事業があり、人々の日々の暮らしを大きく支えている。そこにTPPと同じ論理によるTiSAが喰い込もうとしている。TPPTiSAの隠れ蓑でないかと私は危惧している。国民不在の動きは、福島をはじめとした原発や沖縄の辺野古・高江などでも著しい。主権在民の声を各地から発したい。

福島・東葛活動報告会に参加

 1127()の午後、千葉県の馬橋で「第8回福島・東葛活動報告会」があり参加した。タイトルは「東葛甲状腺問題の核心/チェルノブイリ・福島から学ぶ。本当の健康被害と今向き合う」で、約50人が参加した。スケジュールは下記である。
 1:30~福島東葛活動報告/橋本・関・香取・我妻
 2:30~「福島甲状腺被害の実態、私たちが考え、実践すべきこと」牛山元美医師(さがみ生協病院・311甲状腺がん家族の会世話人)
 ・福島被害者からの報告
 16:00~「東葛の実態を共有する」
 ・東葛放射能データについて
 ・増田松戸市議会議員/市民アンケートについて
 ・流山市への甲状腺検査実施要請嘆願について
 牛山医師は、たくさんの資料をパワーポイントで紹介しながら詳しく説明してくれた。福島の多くの医師たちのように、「放射能との関連ない」との結論ありきの話でなく、あくまで事実に沿って被災者の側に立ってていねいに対処する大切さを強調していて共感できた。名刺を交換させてもらうとき、「医師会などからの圧力はありませんか?」と聞くと、「小さな診療所だから相手にされていません」と笑っていた。凄い医師もいるもので嬉しくなった。一度訪ねることを相談させてもらい快諾してもらった。
 福島の郡山から来てくれたW夫妻の報告にも驚いた。高校の教師の男性は甲状腺癌で手術し、女性は甲状腺の病気であるバセドウ病に苦しんでいた。男性の通う学校には、同じ甲状腺癌で手術した生徒が何人もいるとのことであった。 原発事故の初期に振った高濃度の放射性ヨウ素の影響だろう。郡山でこのような状況であれば、原発に近いもっと高濃度の汚染地では、さらに被害は大きいのではないだろうか。
 終了後に和室へ移動し、20人ほどでビールなど飲みつつ交流した。wさんとも名刺交換させてもらい、いづれ郡山を訪ねてより詳しく話を聞かせてもらうことで別れた。最後まで交流に残った中年の女性に、1冊だけ持っていた「愛とヒューマンのコンサート」の本を見せると、すぐに購入してくれてありがたかった。

2016-12-01

ふる里を追われた人たち3 11月の福島訪問記

 23日の夜は、福島市内のある事務所に泊めさせてもらい、持参した折り畳み自転車で福島駅まで翌朝に出て、高速バスで南相馬市へと1時間40分かけて走った。途中で小雨が雪になり、飯舘村を通過するときは一面の銀世界になっていた。何回も訪ねた細川牧場や交流センターなどを、車窓からながめた。
 昼前に終点の原町駅前に着き、昼食をとった後で近くのアパートに暮らす飯舘村の被災者を訪ねた。震災直後に、村外への避難をするのは家族への負担がかかると悩み、102歳で自死された方のご遺族である。102歳まで長生きされて、それでも最期は自死せざるを得なかった悔しいお気持ちを想像すると、とてもいたたまれなくなる。自死された方の長男は、病気で震災の後に亡くなり、その嫁さんが遺族の代表となっている。
 「お爺さんと夫が今も私を見守ってくれています」
 亡くなった方と一緒に前を向いて歩いている凛とした姿が印象的であった。
 夕方には雨もあがり、折り畳み自転車でホテルに入った。途中で小さなスーパーにて夕食やつまみの品を購入した。安いホテルは、除染などの作業員らしき人がたくさんいた。予約のホテル案内にはインターネット可能とあったが、故障していて使えなかった。
 快晴になった25日は、近くの道の駅でまずインターネットを使用し、近くの古本屋で原発関連の本を3冊購入。その後、駅前の市立図書館へ行き、地元の被害状況や歴史などを調べた。震災コーナーにはたくさんの本が並び、私の「愛とヒューマンのコンサート」など4冊もあって嬉しかった。
 自転車を走らせて陸軍の飛行場跡を目指した。海軍の特攻隊は有名だが、ここは陸軍の特攻基地で20歳過ぎの若者が沖縄方面で散華している。地図を持っていたが記念碑が分からず、次の目的地の岩屋(がんおく)寺へと向かった。
 被災者に寄り添って故人だけでなくペットの供養もしている曹洞宗のお寺である。予約した2時に若い住職に会い、まず寺を案内してもらった。驚いたのは裏山に登ったときである。何と1500年前の前方後円墳であり、小さな横穴がいくつもある。1200年前に、ここに天台宗の律院ができ、さらにその山頂に600年前の相馬11代の菩提が埋葬されている。つまりこの地は、1500年まえの弥生時代からの歴史が綿々と流れている。
 震災後に「お墓へひなんします」との遺書を残して自死された93歳の女性は、ここの檀家である。住職にお願いしてご遺族の家を訪ねたが、残念ながら不在で会えなかった。
 前住職もおられて詳しく話してくれた。すでに檀家が1000家をこえ、さらに年に数十家も増えている。その理由を聞くと、訪問者には分け隔てなくお茶を出すこと。また現存する宮大工の最高の技術と木材を使い、30年かけて本堂を、その後10年かけ山門を新築したのは、一度しかない人生で自らが納得できるものを仕上げたかったとの言葉にはただ恐れ入った。こうした凄い人が必ずいるものだ。
 美味しい精進料理をいただき、寺を出たのは7時過ぎであたりは真っ暗。手回しの懐中電灯で夜道を照らして注意深く走り
、ホテルにもどってきたときは8時をまわっていた。大きな湯船で冷えた体を温めた。