2011-04-24

「日本の食と農 どうした、どうなる、どうする」

所属する日本科学者会議食料問題研究委員会が主催し、23日(土)1時半~5時まで暉峻(てるおか)衆三元教育大教授に話していただいた。ご高齢にもかかわらず、16ページものレジメと7点の資料に沿って、戦後における日本社会の変動のなかで、どのように食や農が変遷してきたのか、そして現状と課題について1時間半の予定が3時間近く熱弁を展開してもらった。
 アメリカの国策に沿うように、日本の食と農が大きくゆがめさせられてきたし、今度のPTTで、さらにその傾向に輪をかけると心配されていた。大事な指摘で、指摘を噛み締める必要がある。
 写真の中央が暉峻さん。

2011-04-21

さいたまコープちえネット発表会

 4月19日(火)の10時半から14時10分まで、南浦和駅近くのコーププラザ浦和にて、2010年度のちえネット発表会があり、アドバイザーとして今年も参加した。今年は例年になく93名もの参加で、会場はほぼ満席であった。
 日々の暮らしの中で困っていることについて、組合員さんがテーマを決めて1年間、ほぼ月に1回は集まって研究した成果を披露する場で、今年は以下のチームであった。
 ①、シンプル生活、②すっきり、③リサイクル、④食生活、⑤くらしとお金、⑥米っ粉、⑦あっ貯まる、⑧しゃぼん玉
 もちろん程度の差はあるが、暮らしの中の疑問に対して自らの力で切り込み、仲間と一緒になって調べ、議論して考え、そしてまとめているので、いつもながら感心する。
 2011年もテーマやメンバーを新たにしてスタートし、また1年間のアドバイザーを依頼された。私にとっても勉強になるので、引き続き楽しく関わっていきたい。できればこうした組合員の研究と、もう少し生協事業との連携を強めたいものだ。


 

2011-04-12

被災地の大津港を訪ねて

 復旧した常磐線に乗って北上して羽鳥駅で下車し、迎えに来てくれた「いばらきコープ」の佐藤理事長の車で大津港を訪ねた。茨城県の最北端で、テレビでは何回も見ていたが、打ち上げられたいくつもの船や、大破した家屋の前に立つと、地震と津波の脅威を心底感じる。さらにここは福島原発から一番近い茨城県の地で、念のため放射能のチリを少しでも吸わないようにマスクをしていった。
 新聞によれば5名が亡くなり、まだ1人が行方不明とのこと。また放射能汚染は魚にも現れて、茨城県の漁船はどこも漁を止めている。まったくとんでもない事態になっており、天災はあきらめることができるにしても、放射能汚染という人災については益々


憤りが高まる。

2011-04-05

コープソリューション掲載記事12 「こうべからのメッセージ」に学ぶ  

「こうべからのメッセージ」に学ぶ    
2011年3月19日 生協研究家 西村一郎
災害時の生協の役割
2011年3月11日午後2時46分に、東北地方の太平洋沖でマグニチュード9.0という巨大な地震が発生した。東日本大震災である。
茨城県南部の我が家では、震度6弱で初体験の激しい揺れとなった。真っすぐに立っていることができず、本棚が倒れ食器が飛び散る中で心底恐怖を感じた。家族に怪我はなく家屋の破損もなかったが、近所では屋根の瓦がはがれ、塀の倒れた家が何軒かあった。地域ではすぐに停電となったので、夜はローソクのもとでラジオから地震情報を集めた。やっと翌朝になって電気が通じ、テレビの画面を見て息を飲んだ。NHKだけでなく全てのテレビ局は一般の放送を中止し、現地の生々しい被災状況を放映していた。
強い地震による家屋や山の崩壊だけでなく、10mをこえる高さにもなったという巨大な津波によって、全滅した集落がいくつもある。襲い掛かる津波に、家屋や車が次々と押し流され、さらには逃げ惑う人々の映像の前で、ただ呆然と見つめるだけであった。
日を追うに連れて死者と行方不明者の数が増え、宮城県だけでその数は万単位になるとのことだから、いったいどれくらいの被害なのだろうか。全壊した役場もいくつかあるそうなので、正確な被害状況を把握するにはかなりの時間を要することになりそうだ。さらには強い余震が続き、他方で福島原発の拡大する事故は新たな不安を投げかけている。
いずれにせよ今回の地震で甚大な被害を受け、復興にはこれまでの災害時にない時間と費用と労力を要することになるだろう。社会的な役割を求められている生協にとっても、組合員の内外から期待が高まっている。
今回の地震の被害に対応する生協の課題を考えるに当たって、1995年の阪神淡路大震災のときに、コープこうべの取り組みはいくつものヒントになる。「被災地に生協あり」と新聞で報道された豊富な実践があった。そのときの210名に及ぶ被災者の体験をふまえて、コープこうべのまとめた貴重な冊子「こうべからのメッセージ 阪神・淡路大震災を体験して」から、全国の生協が学ぶべきことはいくつもあるので紹介したい。

「こうべからのメッセージ」の概要
 58ページの冊子「こうべからのメッセージ」は、震災のあった1995年6月にコープこうべくらし創造本部が編集した。「はじめに」の中で以下のように触れ、教訓の共有化を呼びかけている。
「未曾有の震災を体験して、人間の生きるための強さや、思いやりと心の豊かさが大切であることも改めて実感しました。さらに、これまでの地震に関する常識がいかに甘かったかということ、日ごろの備えはどうしなければならないかということ、いざという時の対応など、震災体験の中に多くの教訓を見ることができます」
具体的には以下の構成である。
・ グラッときた時
・ 余震に備えて
・ 役に立ったグッズ
・ ライフラインが途絶えて:水を手に入れる、作る・食べる・片付ける、トイレを流す、 
洗濯する、入浴する、明かりをつける、寒さをしのぐ、ゴミを捨てる、交通、連絡をとる、生活情報を集める、家族が支え合う
・ 人と人が支え合う
・ ボランティア
・ 私たちの提言
・ 手紙
・ 地震10カ条
・ 資料
どの項目も組合員の体験に基づいて書いてあり、具体的でかつ実践的である。阪神・淡路大震災に比べて今回の東日本大震災は、地震よりも津波の被害が大きいし、さらには原発事故もあって状況は異なるが、冊子「こうべからのメッセージ」から学ぶことはいくつもある。

万が一に備えて
 日頃から万が一への備えが極めて重要である。冊子では「余震に備えて」として、地震直後の家族の約束ごとや寝る時の注意に触れ、さらに室内の工夫として以下の6点をあげている。
① 高いところにモノを置かない
② 家具は低くする
③ 固定する
④ 配置を変える
⑤ グラつきや隙間をなくす
⑥ 飛び散りを防止する
また非常袋に入れると重宝な物については、「役に立ったグッズ」として優先順に次の20品を紹介している。
懐中電灯、食料品、ラップ、ビニール袋、小型ラジオ、トイレットペーパー、電池、ウ
エットティッシュ、手袋・軍手、小銭、使い捨てカイロ、カセットコンロ、下着、薬、紙コップ、飲料水、アルミ箔、紙皿、生理用品、帽子
どれもが万が一のとき大いに役立つ物である。さらには手近にあるものを活用することや、持病のある人や赤ちゃんなどへの対応も忘れずにすることも書いてあるから親切である。

万が一になったとき
冊子では「ライフラインが途絶えて」として、どのようにして非常時の中でも生きるのかについての知恵を細かくまとめてある。日頃は当たり前の水道や電気やガスの供給が、災害時にはストップしてしまうことが多い。どれも大切なライフラインであるが、その中でも第一に重要なのは水であり、飲む水だけでなく、洗う水や流す水などを手に入れることである。
第二には食事で、「作る・食べる・片付ける」として、いかに効率良く調理して食べてから片付けるかについてまとめている。
他にも暮らしに欠かすことのできないトイレ・洗濯・入浴・照明・防寒・ゴミ処理・交通・連絡・生活情報を集める・家族の支えについて、貴重なチェックポイントイを具体的に触れているので参考になる。

人と人の支え
 この冊子の優れている一つが、災害時における物の確保だけでなく、精神面での絆を重視していることで、具体的には「人と人が支え合う1,2」として貴重な体験などをまとめている。復興までには、残念ながら数ヵ月から数年かかることも少なくない。そのため不安や心配事が増加し、メンタル面での支え合いは極めて大切になってくる。
 「助け合い、支え合う命」の小見出しで、「五千数百名の生命をひとのみにした今回の大震災では、紙一重で助かった人もたくさんいました。警察も消防も出動しないうえに、自衛隊の援助もまだなかった直後の時間を、私たちはその地域に住む人たちと心を一つにして行動できたことを誇りに思います」と触れ、いかに隣近所における人と人の繋がりが大切であるか強調している。
 他にも「身にしみた人の温かさ」や「生活共同体・ご近所の輪」や「私のネットワーク再認識」において、震災の中での教訓をまとめている。
 被災者向けだけでなく支援するボランティアについても、4ページを使って大切な事例を整理してあるので、今回であれば被災した生協だけでなく支援する生協にとっても大いに参考となる。
 
生協の総力をあげて被災者の支援を
 生協の目的は、生協法第1条で「国民の生活の安定と生活文化の向上」とあり、活動の対象を組合員だけに限定していない。今回の震災では、東北を中心として多くの国民が被災されて困っているので、これを地元の生協はもちろんだし、全国の生協が総力をあげて支援することは生協の社会的使命でもある。
 被災者に対する生協の支援の第一は、通常の業務をできるだけ滞りなくおこなうことであり、地域生協であれば食料品類の供給や共済の給付などだし、医療福祉生協では医療や福祉サービスの提供である。大学生協や学校生協では、勉学の環境を守る事業の役割が大きい。被災地の生協では、ライフラインに支障をきたし、かつ被災された職員もいる中での事業であり、大きな困難を伴うがぜひ健康に留意し頑張って欲しい。
 第二は、人材や物資を含めて全国からの支援である。すでに全国各地の生協で募金活動を含めて動き始めているし、日本生協連や生協労連では対策本部をいち早く立ち上げ、会員に対して支援の訴えや情報の共有化などを進めている。各地からの支援物資も、被災地に届きつつある。それぞれの支援の輪に、一人でも多くの組合員や職員や労組員のさらなる参加が求められている。生きるギリギリの条件の下で頑張っている被災者から、支援することを通して、いつかは我が身となる私たちが学ぶことは多い。
 今回の大惨事の中で、被災者一人ひとりの生活の安定と生活文化を大切にする生協の役割が、これまでになく大きく求められている。コープこうべの教訓に学びつつ、心身の健康を守りながら人と人の絆を結ぶ新しい震災文化の創造が、全国の生協人に急務となっている。
 
写真 冊子「こうべからのメッセージ」

コープソリューション掲載記事11 生協における減災の取り組み

生協における減災の取り組み      2011年2月19日 生協研究家 西村一郎
はじめに
 巨大な岩石層であるプレートが複数重なった上に位置する我が国では、人体に感じないものを含めると、ほぼ連日のようにどこかで地震が発生している。1995年の阪神淡路大震災や2004年の新潟県中越地震などによる大きな災害は、まだ記憶に新しい。さらに地震調査研究推進本部の発表によれば、向こう30年以内に地震の発生する確率は、宮城県沖や茨城県沖で9割をこえ、南関東や東南海では7割程度などにもなっていて、いつ発生してもおかしくない。
 このため生協においても地震対策が、事業だけでなく組合員にとっても大きな課題となっている。ところで災害への対策は防災の用語を一般に使っているが、こと自然現象である地震を完全に防ぐことは無理であり、災害を減らす意味でより正確には減災が妥当であり、生協ではこちらも使用している。
 生協での地震に対する減災の取り組みを大別すると、組合員を主体にした「わがまち減災・MAPシミュレーション」と、生協職員を主体にして事業面で対応する図上演習がある。日本生協連に専任の防災担当を配置し、阪神淡路大震災などからの教訓も含め、どちらにもきめ細かなマニュアルを作成して全国で普及させている。その内容は生協外でも高く評価され、内閣府からの期待だけでなく、2009年に国連の出版物でも紹介されている。ここでは、組合員を主体にした「わがまち減災・MAPシミュレーション」の取り組みに触れる。

「わがまち減災・MAPシミュレーション」とは
 いつかはやってくる地震が発生したときに、住んでいる地域で迷わずにすぐ行動できるように図上で訓練することが目的である。
 そのため地域の詳しい地図に自宅や避難場所などを記し、どこにどのような助けのいる人がいるのか、自らにはどんな助けが必要なのか、近所の人たちと助け合いながらどう避難すれば良いかなどについて、確認しつつ独自の地図を作成していく。
 これをもとにして安全に避難場所へたどり着く方法や、外出している家族が帰宅できないときにどう対応するかなど、災害時を具体的に仮想体験する。そのことで自分を自らが守る自助や、共に助け合う共助をより理解し、万が一のときに落ち着いて行動することができるようになる。

準備として
 まず用意するのは、①参加者の家と避難場所の載っている地図、②地域の行政が配布している防災(ハザード)マップ、③地図の上に敷きマーカーで記入できる透明シート、④川や路線を記入するホワイトボードマーカー、⑤メモ用紙と筆記用具、⑥付箋と丸いシールのカラーラベル、⑦ハサミである。また5~8人ほどで1つのグループをつくり、進行役のリーダーと記録係を各1名選出しておく。
 本番に入る前に、5分を目安にウオーミングアップする。第一に、「10秒後に震度6強の地震が来る!」と言われたとき、どう対応するか1分以内でメモをしてもらい、数名に発表してもらう。ちなみに震度6とは、家の壊れる割合が30%以下で、がけ崩れや地割れの起こる烈震である。
第二に、実際の大震災がどんな様子であったのか写真や映像を見てもらい、意外と近隣者が助け出すケースや、家屋や家具による圧死の多いことなどを知ってもらう。
 こうして日頃の準備と地震に対する正確な知識があれば、わずか10秒の間でも助かる可能性を広げることのできることを、一人ひとりがまず自覚することである。

まちの地図づくり
 いよいよまちの地図づくりで、目安の時間は30分である。第一に地域の地図の上へ透明シートを乗せ、自分、一人暮らし、赤ちゃん、寝たきり、障害者、外国人の家などに、それぞれの色を決めてカラーラベルを貼る。災害の情報が流れにくい人や、自分の力で動くことの難しい人への配慮が大切となる。第二に、地図にそって線路や車道や川などを、カラーマーカーで使いわけてシート上になぞる。第三に防災マップから、避難場所、防災倉庫、病院、危険箇所などの主要な場所を拾い、マーカーで地図の上のシートに書き込む。
こうして完成させた地域の地図を見て、第四に各自が感じたことをメモにして数名から発表してもらう。

減災シミュレーション
 第一に、地震が発生したとして、自宅から避難所までの行程を地図上で演習する。リーダーは、あらかじめ作成しておいたシナリオに沿って、地震発生、3分後、15分後、40分後の状況を報告する。なお日本生協連ではシナリオについて、都市型、中山間部、海や川沿いの詳しいサンプルを用意しているから便利である。刻々と変わる被害状況の中で、どのようなルートで避難するかその都度判断する。
 第二に、参加者の各自はどのような道を通って避難したか、足跡を地図の上に残してもらう。リーダーは、避難が終了した頃を見計らって、障害者、寝たきりの人、赤ちゃんのいる母親、独居、外国人などに声をかけて避難したかたずねる。多くの参加者は自分の避難に気をとられ、災害弱者といわれる人たちに声をかけることは少ない。
 こうして約30分で避難所までたどり着くシミュレーションをおこなう。

シミュレーションを終えて
 図上の演習を終え、15分かけて振り返りをする。第一には、先ほどまでのシミュレーションを思い出し、感じたことをメモにする。リーダーの問いかけは、①情報を基に、適切なルートで避難所へ行くことができたか、②地域の危険な場所を認識できたか、③近所の弱者を気遣うことができたか、④グループ内で互いの意見を尊重しあうことができたかである。
 第二には、阪神淡路大震災で生き埋めなどが発生した際に、隣り近所の人たちが救出したのは80%で、消防署員や警察や自衛隊など行政機関の人たちによる救出は20%にも満たない事実を指摘し、近隣による助け合いの共助の大切さを指摘し、参加者に考えてもらう。

避難所での動き方
 25分使い、避難所に行ったときの動き方を演習する。第一に、各地から来た沢山の方が騒然としている避難所で、いったい何をするのか各自に聞き発表してもらう。ところで避難所は学校の体育館などで、数百人規模になることも多く、行けば誰かが世話をしてくれるわけではない。そこで第二に、自分で自分を守る自助や、共に助け合う共助について、自分でできることを自主的にそれぞれが考えなくてはならない。
 例えば支援に届いている各種の材料を使い、大事な食事作りがある。手軽に料理ができて全員が早く食べることはもちろんだが、さらには高齢者や障害者などにも配慮することが大切である。また障害を持った人や赤ちゃんのいる人などが、くつろぐことのできる空間を確保することも重要である。体育館などの避難所では、1人1畳を目安に割り当てられるが、段ボールで仕切りをするなどの独自の工夫が必要なときもある。他にも情報の収集、広報、掃除、整理、品々の配布など、避難所ですることはいくらでもある。

課題は
 こうして全国の生協で図上訓練が広がっており、組合員だけでなく職員も含めてさらなる拡大が期待されている。そこでの課題を考えてみた。
 第一に、図上訓練をする場のさらなる拡大である。各地で実施しつつあるが都道府県レベルでの実施が多く、これを市町村やさらには学校区単位にまですると、より効果的である。減災への自覚を高める情宣活動などは、継続して強化することが求められている。
 第二に、隣り近所間の人的繋がりの強化である。近隣者の手助けこそが災害時に一番効果があることは、阪神淡路大震災のときも実証ずみである。
 第三に、食事や寝る場所などの物理的な支援と同時に、精神面での支援も大切である。特に社会的弱者は、震災によってさらなる精神的ストレスを受けるので、親身になっての相談やアドバイスも重要である。
 第四に、町内会で防災訓連を実施した私の経験からすると、図上訓練にとどまらず、ぜひ実際に歩いてみることも重要である。図上では解らない危険な場所がいくつもある。
 日本のどこでも大震災がいつ発生してもおかしくない今日、減災において生協の果たす役割はますます高まっている。

*写真のキャプション
地図を囲んで防災施設等を確認する参加者